前回の話のまたちょっと続き。
じゃあなんで日本では年齢とか先輩後輩で上下つけようとするのか。
それはひとつには、「据わりがいい」からだと思う。
いや俺はあんまり良くないんだけど。
要するに立場が鮮明になることのメリットだよね。
日本語自体もその文化を背景に成立しているから。
対等って言われても据わりが悪い。それはわかるよ。
例えば「あちらを上」として扱ってさえいれば相手を尊重できる。
これが楽なわけだよね。
「対等という扱い」は意外と難しいというか、よくわかんない人が多いのでは。
どうすることが対等なの? ちゃんと尊重できてる? ってね。
システム的な、強制的な上下に従うことは楽なんだ、
だからそれを崩してくれるな、という抗議はわかんなくはない。
それはすまんな、という感じ。
でも俺は人間ってみんな対等だと思ってるんですよね。
それが俺の「他者の尊重」なので。
え、貴族とホームレスが人として対等かって? もちろん。
それこそ俺の中では対等ですよ。
そこに差をつけるほうがめんどくないですかぁ?(煽り)
もちろんお友達としてはどっちも友達だと思うけどね。
無関係な人に対していきなり属性で上下つけなきゃなーとは思わない。
まあもちろんこれは身近な例として書いたが、もっと言うとこうだ。
年齢というのは不可逆な属性であり逆転しない(学年はたまにする)。
血筋・家柄みたいなものも、意味を持つまでに100年とかかかる。
そこに権威を持たせることで社会的な揉め事が減らせる。
つまり、王様になれない血筋の人は継承について争わず諦める。
年上に言われた事に最初から逆らわなければ日常の諍いも減る。
それはひとつの権威というシステムであり、メリットがないとは思わない。
しかし成熟した社会において「必ずないとダメ」なものでもない。
あと、ネットの発達により関わる人数が増えると却って揉める(笑)。
なので俺は年齢とか血筋とかキャリアとか客観評価差(数字)とかの属性で、
他者との・他者同士の対等性を否定することはない。
ネットでは他人の権威を借りて「お前ごときが何言ってるの」と
横から言う人もいるがあれは俺から見たらかなりしょうもない。
意見そのものは1対1、対等なんだ。
だから権威じゃなくて内容で勝負しなさいということ。
実名でも匿名でも、誰が発言者でも筋が通ることを言わなきゃいけないんだ。
そんな俺の朝作曲第1回を置いておきます。へっぽこ。
【朝作曲01日目】Reiga! Reiga! Reiga!【伴奏はリズムのみ】
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