何かの問題が起きた時、知識や論理思考力で解決すべきことを「リスペクトがないから問題が起きた」ことしようとするのは、まさに思考力がない人のやることっぽくて笑ってしまうが、実際笑ってもいられないのである。
前にも書いた通り、他人の敬意を勝手に観測(敬意があった・なかった)して勝手に結論にするのは「なんとでも言える」行為の一環で、さも理由があるように見えてしまうため自分に都合が良ければ受け入れてしまう人がどうしても出てきてしまう。
それでは本来の問題は実質的には解決しないし、「なんとでも言える」ことは当人同士であっても揉めておかしくない。常に「どういう理由でどうするか」を考えて線を引く(契約する)とか話し合うとかしないと、解決できた気分になるだけで先送りされるのだ。
リスペクトがないせいで起きる問題は(証明自体も難しい)リスペクトがないということに関してだけであり、少なくとも当事者はそんなものがあろうがなかろうが問題の起きないコトの進め方を探る力をつけることが大切である。そして外野は勝手な観測で「悪者探し」するのをやめたほうが良い。それは他人をダシにしたただの娯楽でしかなく、それこそ他者一般へのリスペクトなんてありはしない行為なのだから。

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