2025/12/04

表現者と鑑賞者の対等性がなければ鑑賞眼が死ぬ

 


表現は見る・見られるという関係性で成り立っていて、互いに対等である。見られる側(表現者)が偉いわけではない。そのことは表現行為をする前によく考えたほうがいい。

見られる側が一方的に偉く、見る側をコントロールできる状態は、批評をさせず思ったような評価だけを認める、商売の上では理想的な状態だと思うのだろう。しかし表現の世界ではその関係性はあまりに非対等すぎるし、はっきり言うけど害悪でしかない考え方だと俺は思う。見られる側としても見る側としても、そういう姿勢自体にまったく賛成できないのである。

そういう姿勢は見る側の鑑賞眼を成長させず、結果として真面目に作ったものの価値を理解してもらえなくなり、作り手を好きか嫌いか・ファンかファンでないかだけで選り分ける世界に閉じこもることになる。そして容易く低品質・大量生産のモノに負けてしまう土壌を自ら作ってしまうのだ。

(特に商業表現で)評価のコントロールに躍起になっている人々はもっとよく考えてほしい。表現と批評はセットであり、その覚悟だけは事前に完了しておくべきなのだ、後の自分のためにも。

そして「それはちょっとメンタルがもたない」と思う人は、安易に表現の世界に足を踏み入れず、まずは公開しない創作だけやることをおすすめする。公開(表現)するかどうかは自分で選べるのだから。



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