2025/12/11

クリエイターと経営

 


クリエイターは必ずしも自己経営がうまいわけではないから、そのクリエイト能力を経済的に活かすために経営(マネジメント)をする人間が別に存在するのは悪いことではない。しかし互いに普通に生きている限りこの2つの能力があまり交わらないため想像力が働きにくく、また価値として見えるもの(作品と金)がわかりやすすぎるという面もあり(笑)、互いを尊重してうまくやっていくのもまた難しいことがある。

こういう時に「クリエイターだけを尊重すれば良い」という人がいるが、確実に違う。クリエイターが自己を経営できないから誰かに頼っているのである。その能力に欠けているから「頼る」関係が生じているのであり、クリエイター以外はその下で使われれば良いというのはまったく違う。

もちろん、クリエイターが経営がわからないのをいいことに金を抜いたり持ち逃げするのは論外ではある。が、これはリスペクトとかの話ではない。互いに頼るにしても相手のやっていることの透明性は確保せよということである。

経営者もまたクリエイターが暴走し使い物にならなくなるのでは困るから、破綻するような働き方をしていないかは把握しなくてはならない。そこを秘密にされて「心身が破綻しました、あとは知りません」では経営を担う側だってやっていられないのだ。それを外野が「クリエイターだから仕方ない」で片付けるのもまた違うのである。

……というくらいのことは「考えて」外野は見たほうが良いのであり、思い入れだけでどちらかの味方をすれば良いというものではないと思う。あ、あとクリエイトも経営もしたこともないのにクリエイター使って商売するぞ、と意気込む人もまた高確率の地雷なのでそれは気を付けてね。



2025/12/10

リスペクトが万能だと思うな

 


何かの問題が起きた時、知識や論理思考力で解決すべきことを「リスペクトがないから問題が起きた」ことしようとするのは、まさに思考力がない人のやることっぽくて笑ってしまうが、実際笑ってもいられないのである。

前にも書いた通り、他人の敬意を勝手に観測(敬意があった・なかった)して勝手に結論にするのは「なんとでも言える」行為の一環で、さも理由があるように見えてしまうため自分に都合が良ければ受け入れてしまう人がどうしても出てきてしまう。

それでは本来の問題は実質的には解決しないし、「なんとでも言える」ことは当人同士であっても揉めておかしくない。常に「どういう理由でどうするか」を考えて線を引く(契約する)とか話し合うとかしないと、解決できた気分になるだけで先送りされるのだ。

リスペクトがないせいで起きる問題は(証明自体も難しい)リスペクトがないということに関してだけであり、少なくとも当事者はそんなものがあろうがなかろうが問題の起きないコトの進め方を探る力をつけることが大切である。そして外野は勝手な観測で「悪者探し」するのをやめたほうが良い。それは他人をダシにしたただの娯楽でしかなく、それこそ他者一般へのリスペクトなんてありはしない行為なのだから。



2025/12/09

「合法なら何をやっても良い」は当然みんなが守るべきこと


 「合法だからって何をやってもいいと思うなよ」という言葉は、つまり「合法な行いに圧力をかけてやめさせたい」という意味であり、それは強要である。また、法的な処罰を待たずして罰を与えたいと思うならそれは私刑である。

合法であることは自由を保証しているのであり、他者の自由は自己の不安と表裏一体ではある。だから他者には法律以上の枷をはめておきたいという欲求は理解はできるが、強要も私刑も大変によくない行いでありそんなことがまかり通る社会に俺はしたくない。

だからこそ俺は堂々と「合法なら何をやっても良い」と言いたいのである。そして、本当に困ることに対しては新たに法律を作るように働きかけるべきであり、個人で罰しようなどという「それ自体が非合法」な方向に行かないようにしたいものである。

ま、大半の人はそんな悪いことしないと信じてますけどね。



2025/12/08

炒うどん

 


俺は米はそんなに食べないからパックご飯しか買わないのだが、そのパックご飯もいよいよ高騰してるから、米飯をゆでうどん(20円台のやつ)に置き換えられないかと思考して「炒うどん」を思案中。俺の作る炒飯は醤油と豆板醤ベースなので。うどんだから甘く、というのを頭から消せばいけると思う。あと、薄い汁では美味しくない激安のゆでうどんの使い道としてもいいのでは。今度やってみる。卵も高いからそこはどうするかなぁ(うどんと卵1個が同価格くらい)。まあ実験だから買うか。

あとまだ開けてないパッタイペーストとトムヤムペーストがあるんよな。あれもうどんでもいいかもしれない。



2025/12/07

今年の飲料代

 


いろいろ物価が高騰している昨今だけど、それとは別に今年は飲料に金をかけすぎた。

唯一の贅沢というか地味なストレス解消というか、なんか毎年何かには多少多めに消費しているのだが、多分今年は飲料代が10万くらいかかっている気がする(酒も含むが酒は半分くらい)。

まあそのおかげでいろいろなペットボトル飲料も試せたけどね。来年はこれはもうやめようと思う。

そもそも今までの人生で「今お金あるな~」って時期なんてないしな、俺。そういう時期が来たらまたなんか消費しよう。来年は健康的に食費と飲料代を減らす。

米は元々あんまり食わないのでまあまあどうでもよろしい。



2025/12/06

敬意は赤の他人のためにあるものではない



他人に敬意を持つのはまったく悪いことではないが、他人の持つ誰かへの敬意を他人が勝手に評価するのは基本的に悪いことであると思う。敬意はそれを持つ当人と対象者のためにあるもので、それ以外の人が評価を下すためのものではない。対象者以外が「敬意が足りない」などの理由で人を責めるなどはもっての他であるし、対象について敬意を持たれるべきかそうでないかを勝手に決める権限もない。

え、「自分は他人へのポーズのために敬意を見せている」だって? それは純粋な敬意とは違うし、それこそ「失礼であるとして斬られ」てもしょうがない行為なんじゃないの。

一般的にありがちな「自分の大事なものには他人も敬意を払ってほしい」って思いは感情としてはわかるが、じゃあそういうあなたは「他人全員の」そういうものに配慮するかと言われれば、しないでしょ。自分だけ特別扱いは良くないよね!

2025/12/05

無理な目標で病むな/無理な目標は安易に応援するな

 


これは性格の良い人にたまにあることたが。

本気で「一人残らず笑顔にする」等、不特定多数の感情に配慮しようと頑張っても、人の感情というのは千差万別であるためどこかに線を引かないと無理である。

理念として立派であっても、そうした無理な目標によって自分が病んで潰れてしまって結果的に周囲やファンの顔が曇るのでは本末転倒である。

俺は無理なことを目指す人を「立派だから応援する」気にはなれない。当人が壊れていくのを手助けするようなものだからだ。

特に我々VTuberは最初にでかいことをぶち上げがちだが、でかいほど果たされずフェードアウトする可能性も高いので、やる側も見る側もそれなりの覚悟(潰れて病まない・できなくても文句言わない)が必要だなと思う。

要するに本気にしすぎるなということ。そしてくれぐれも「結果として病むようなこと」を美談にするなよな。



2025/12/04

表現者と鑑賞者の対等性がなければ鑑賞眼が死ぬ

 


表現は見る・見られるという関係性で成り立っていて、互いに対等である。見られる側(表現者)が偉いわけではない。そのことは表現行為をする前によく考えたほうがいい。

見られる側が一方的に偉く、見る側をコントロールできる状態は、批評をさせず思ったような評価だけを認める、商売の上では理想的な状態だと思うのだろう。しかし表現の世界ではその関係性はあまりに非対等すぎるし、はっきり言うけど害悪でしかない考え方だと俺は思う。見られる側としても見る側としても、そういう姿勢自体にまったく賛成できないのである。

そういう姿勢は見る側の鑑賞眼を成長させず、結果として真面目に作ったものの価値を理解してもらえなくなり、作り手を好きか嫌いか・ファンかファンでないかだけで選り分ける世界に閉じこもることになる。そして容易く低品質・大量生産のモノに負けてしまう土壌を自ら作ってしまうのだ。

(特に商業表現で)評価のコントロールに躍起になっている人々はもっとよく考えてほしい。表現と批評はセットであり、その覚悟だけは事前に完了しておくべきなのだ、後の自分のためにも。

そして「それはちょっとメンタルがもたない」と思う人は、安易に表現の世界に足を踏み入れず、まずは公開しない創作だけやることをおすすめする。公開(表現)するかどうかは自分で選べるのだから。



2025/12/03

名指しではない感情的被害はだいたい無視して良い

 


ネットの「叩き」「炎上」は大半が愉快犯かただの言論の対立であり、本当の被害でそうなるわけではない。 ただ、「感情の証明」はできないから「感情的被害」は主張のみで擬態し放題になる。

そのように無限に擬態できるものの価値など無きに等しいはずだが、人間はみな自分の感情を守りたいという欲求がある以上、他人の感情の価値を低く見積もれない(それが自分の感情の価値でもあるから)。

つまりネットの言いがかりのような叩きの大半は「証明ができないので本人の弁を信じるしかない」「自分のためにも価値は落としたくない」ものであることに付け込んでいるのである。またさらに「実用・評価ではなく感情で商売している」場合は弱みが増してしまう面もあるだろう。

自分はネットでの発言で他人の感情を害したところで名指しでない限り気にもしないし謝らない。それは「自分も含めて公共空間では感情の価値など低くて構わない(自由を含めた実用性のほうがよほど大切)」と思っているということである。自分の管理する場の中で守られているならそれでいいではないか。他者の管理する場までわざわざ出向いて攻撃するのはどうかとは思うし、その時点でほぼ愉快犯なので無視していいと思うんだけどねえ。



2025/12/02

卒業配信


 

大手V事務所の卒業告知配信、影響(気分的問題での他配信の中止等)を気にするなら「みんなの配信が始まったあとの深夜」にやったほうがいいと思うの、これ毎回思うんだけどさ。もしくは早朝とかね。まあ視聴者は朝から憂鬱かもしれんけどね……。

あと、前からちょくちょく言ってるけど個人事業主は向いてない人は向いてないから、ガチガチに働く前にちゃんと考えないといくら売れても病むぞ。

かくいう罪重くんは向いてる方だけどね!!

そしてまたしばらく忙しくて配信がそこまでできないかもです。土日休んだだけ(しかも11月唯一の完全オフ)なのにおかしいよなー。はい。俺は卒業しません。むしろ仕事くれ。

2025/12/01

判定されるために服を着るわけではない

 


他所は知らんが、日本では服装というのは「判定される(評価を下される)ために着る」というのがどうしても意識から抜けない。別にそんなこと頼んでもいないのに勝手に判定されるし、見る側は常に「判定してやる側」なのだ。

もちろん誰かの家とか私有地で判定する分には構わないが、公道やネット画像だけからでもとにかく評価を下したがる。

そういうのが俺はどうも嫌なんだよね。やっていることが下品というかね。他人を勝手に斬るのって、言ってしまえば品性としてはよろしくないでしょ。だから基本的に法に反してないならどんな服装でも自由だと思ってるし特に何とも思わないんだよね俺は。本人から頼まれれば何か言うけどさ。